青い部屋

ぼくのママン其の弐:子守唄はシャンソンだった

mama03

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生まれたばかりの頃の話を母親に聞いたことがある。
その頃の俺はフルーツのバスケットに入れられていたらしい。
いや、バスケットのようなものか?
とにかく持ち運ぶのに便利だったので、そのバスケットを使っていたのだと母は言っていた。

もちろん赤ん坊の頃の記憶なんて詳細には憶えていないけれど、その後幼稚園や小学校に入ってからも、椅子を鏡合わせに置いて、その中にすっぽりと収まるのが好きだった。
幼児の頃に体験したことは、心の奥底でなんとなくでも憶えているものだ。
雛鳥のように記憶に刷り込まれていくものだ。

ーーー自分にとってのシャンソンはきっとそのひとつだ。
子供の頃に母が自宅でよく練習をしていたのを憶えている。

赤ん坊の頃、俺の子守唄はシャンソンだった。

マイナーコードの美しくて陰鬱な響き。
歌い手の呼吸とともに揺れるリズム。
重厚で哀愁漂う深遠な詞。

特に母が好む唄にはそういった重い唄が多かった。
ジゴロに娼婦、挫折した男や自殺する女。
そんな人生の暗部、哀愁を唄った歌を耳元で聴いて育ったんだ。

いちばん最初に好きになったのは『地下鉄の切符きり』。
毎日繰り返される退屈な日常に嫌気がさし、妄想の果てに自分の頭を銃で打ち抜く。
そんな唄。

ーーーいつもあけてる 小さい穴 
小さい 小さい 小さい穴ーーー

ビート感があり、覚えやすいヴァース(サビ)の繰り返し。
それが子供独特の高揚感ととてもマッチしていた。
歌うと少し興奮気味になり、母親によくねだったものだった。

ーーー切符きりの唄歌って!
ーーー切符きりの唄歌って!

すると母も少し誇張気味に
小さい穴 小さい穴 小さい穴
と歌ってくれたものだ

だから、幼稚園に入った時も他の子たちとは知っている歌がまるで違っていた。
マイナーコードになれていたので、メジャーコードの溌剌とした歌があまり得意じゃなかった。

ーーーあの頃の記憶

そういう経験があるから、シャンソンとは日本の歌だとばかり思い込んでいたんだ。
今でもそうだ。まず外国のものだという意識がない。
だからエディット・ピアフくらいはなんとなく知っているけれど、ほかのフランス人歌手はほとんど知らない。知ろうとも思わない。
だって、『どんぐりころころ』とかの童謡を作った人に興味なんてある?

名曲は世代を超えて残り、名前は忘れられてゆく。
それで良いんじゃないかと俺は思う。
これは持論だけど。シャンソンはすでに日本に根付いた文化で、カレーやラーメンのように日本食として独自に発展すべきだと思う。中国人やインド人が、これは本物と違う!と思ったって、豚骨ラーメンやカツカレーは美味しいじゃない?

俺はそんな唄を歌っていきたい。
俺のシャンソンを。
子供の頃から聞いていたあのイメージでーーー

NERO/地下鉄の切符きり

ーーーー<サナギ>ーーーー

まるまったかたちで動かなくなった俺を見て
お前は俺が死んだと思っていた
俺の身体が固くなっていくのを知って
俺が硬直していくのだと泣いた

あの頃の俺たちは 自分が何者なのかもわからずに
薄暗い路地裏で 人生を這いずり回っていた
どこへ行けばいいのかもわからずに ひたすらに日々を貪った

芋虫みたいに
みっともなくて
毛虫みたいに
嫌われ続けた

共に夢見ていた大空は
這いずり回る俺たちにはあまりにも遠すぎた

かたちを変えてく俺の姿を
泣くような目で見つめないでいい
確かにもうあの頃には戻れない
確かにもうあの頃に戻りたくない

俺は幸せだよ
俺は幸せだよ
俺は幸せだよ

ーーーー<終>ーーーー

(続く)
(挿絵:ミロ

 

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