青い部屋

ぼくのママン其の九:ドンキホーテと口紅

mama10

=============================
その日はなぜだかとても心が弾んでいた。
俺の少年期にだって、訳もなく楽しい日があったものだった。
友達に避けられるようになって以来すぐに家に帰ってもすることがないので、学校帰りひとりで街をぶらぶらすることが多かった俺は、その日近所の商店街を散策していた。

そうだ、今日はママの誕生日じゃないか
何かプレゼントをあげよう
そうだ、それがいい
今までそんなことをしたことないから
きっとママは驚くに違いない
なんて素敵な思いつきだろう!

天啓のように降りてきたひらめきだった。
親孝行をしたいとか、そんな面倒なことを考えていたのじゃない。
ただなんとなく…そういう普通の親子らしいことをしてみたかった。
やってみたかった。
そんなことを考えていたら心がウキウキとしてきた。
ただそれだけだったんだーーー

なにをあげたらいいだろう?
そうだ、うちのママはいつでも化粧が濃い
いつでもたくさんの化粧品を持っているし
べっとりと顔におしろいを塗りたくっている
それならきっと喜ぶに違いない

考えてみたら誰かにものをあげるのなんて初めてだった。
特に母親にプレゼントをするなんて考えたこともなかった。
本当に単純な思いつき。
けれど、少年にとってそれは冒険だったーーー

化粧品屋ーーー
今で言うコスメショップか。
そこは小学生の男の子がひとりで入るには、あまりにも敷居の高い場所だった。
お客も店員もすべて女性。
置かれている商品のことだってなにもわからない。
俺は店の前で30分近くも行ったり来たりを繰り返していた。
うつむき加減でちらちらと店内を見ながら、店の前を何度も往復する少年。
その姿を見かねたのだろう、あるとき店員のひとりが声をかけてくれた。

なにか探し物?
一緒に探してあげようか?

その店員の言葉に救われた気がした。
俺はその呼び水にすかさず反応した。

うん、ママにプレゼントをあげたくて…

そう言うと店員は笑顔で俺を店の中に引き入れ、一緒になってプレゼント選びに付き合ってくれたんだ。

なにがいいかな?
どういうママなの?
髪は長いの?短いの?
肌は白いの?それとも日焼けしている?

うちのママはね、もじゃもじゃ頭で、化粧が濃くてね、頭を何色にも染めているんだ。そういうと店員は笑ってくれた。本当の話だったけど、なんだか現実離れしていて自分でもおかしかった。

結局ーーープレゼントは口紅に決定した。
それもいちばん真っ赤で、いちばん派手な発色の赤。
それを選んだーーー

ーーープレゼント作戦は大成功だった
ーーーママはとても喜んでくれたよ
ーーーぼくもそれが誇らしかった
ーーーぼくは本当に、それだけでよかったんだ…
ーーーそれだけで満足だったんだ…

*********************

それからしばらくたった頃だった。
同級生が一人、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて近づいてきた。

お前、自分ちのママに口紅贈ったんだろ?
うちのママがそう言ってたぜ
気持ちわりぃな、男のくせに女みたいだ
お前のあだ名は今日からおとこおんなだ

背筋に衝撃が走り慄然とするーーー
なんで、こいつがそんなことを知ってるんだーーー
同時に激しい怒りが込み上げてきて、気がつくと俺はその同級生に殴りかかっていた。
夢中で殴りつけた。何度も何度も腕を振り回した。怒りを持って人を殴るのは初めてだった。
気がつくとそいつは泣いていた。
俺はその日からキチガイとか暴力団とか呼ばれるようになった。

でもーーー
そんなことはどうでもいいーーー
どうでもいいんだーーー
なぜ母とふたりきりの出来事を同級生が知っていたのか。
そのことの方が問題だったーーー

待ち人のいない家に帰り、すぐさま母の仕事部屋に飛び込んだ。
いやな予感がしたんだーーー
その時の俺は、まだ自分が週刊誌に書かれていたことに気付いていなかったからーーー
うずたかく積まれた週刊誌。
いちばん上にある最新号をとってページを開いた。
付箋のあったページ。
そこに戸川昌子の連載があった。
『誕生日の口紅』だとかーーーそんなタイトルを付けられたエッセイにはこの前のエピソードが母親の視点から嬉々として描かれていたーーー
やっぱりーーー
俺は貪るようにしてそこにある雑誌類を読みあさった。
次から次へと出てくる俺に関するゴシップ記事。

友達のこと。その子の問題行動。
盗み読んだ俺の日記の書き写し。
PTAでのいがみ合いの出来事。
あまつさえ『性の芽生え』というタイトルのエッセイでは、俺が寝ているときに勃起していたとまで書いてあった。

ーーーこれが全て公表されているのか?
ーーーこれを全て同級生の母親たちは読んでいるのか?

点と線がつながった。
なぜ俺は友達に避けられるようになったのか。
俺を孤独に追い込んだのはランドセルでもなければ俺自身でもなかった。
なにもかもの全体像が理解できた瞬間だった。
全ての原因は戸川昌子にあったのだ。

ーーー絶対に許せない。

その日の夜。
戸川が経営する酒場『青い部屋』から帰るのを待った。
午前二時頃。戸川が酒の匂いをさせながら玄関を開ける。
俺は証拠の雑誌を持って戸川に詰め寄った。

なんでこんなこと書いたんだよ
おかげでどんな目に遭っていると思っているんだ
頼むからもう書かないでおくれよ
他のことを書いてくれよ
お願いだよ…

懇願する俺に向かって戸川はこう言い放ったーーー

だれがあんたを食わせてると思っているのよ
あたしが父親の役目をしなかったらあんたは食べていくことさえできないのよ

その言葉で頭が真っ白になった
どうして俺のことを書かなければ食べていけないんだ!
元々ママは推理作家だったじゃないか!
それに歌の仕事や店だってあるじゃないか!
ぼくはだれも友達がいなくなってしまった!
同級生のお母さんからはあの子と遊ぶなと言われてる!

なんでぼくのことを見てくれないんだ!
どうして目の前にいるぼくのことを見てくれないんだ!
ぼくはその雑誌の中になんていない!
ぼくはママの目の前にいるんだよ…!!

初めて…母親に殴りかかった…
それ以外にどうしていいのかもわからなかった…
ただ、怒りじゃないことだけはわかっていた…
どうしようもなく、どうしようもなく哀しくて…
そのまま床に突っ伏して大声で泣きじゃくった…
その横っ面を母の平手が打ち付けた

悔しかったらあんたも書けばいいじゃない!
あたしのことを書いてごらんなさいよ!

母はそう言い放つと部屋へ行き、ドアの鍵をかけてしまった。
俺は何度も部屋のドアを叩いたけれど、やがて疲れて床へたり込んだ。
ベッドに戻ろうにも気力が湧かず、途中の廊下にうずくまってまた泣いた。
ママにはぼくが分からないんだ…
ママにはぼくが見えないんだ…

*********************

数日後ーーー
雑誌社から見本誌が送られてきたーーー
そこには俺が突然殴りかかってきたというエピソードーーー
彼女は息子の豹変ぶりに戸惑う無辜の母として描かれていたーーー

その日から戸川昌子をママとは呼ばなくなった
彼女は俺の敵。そう思うようになった。
初めて人を憎む気持ちを教えてくれたのは、母
戸川昌子だったーーー

それから俺は誰にも心を閉ざすようになり、グレていく

どうせ誰も俺の言葉を信じてくれないからーーー
どうせ俺は悪者だからーーー
どうせ俺は頭がおかしいからーーー

そう思うようになっていったーーー

あたしのママン/NERO

(続く)
(挿絵:ミロ

 

  • カテゴリ一覧

  • 青い部屋チャンネル
  • NERO 公式ブログ
Copyright (c) 2013-2017 Aoi-heya All Rights Reserved.